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gradiolus' blog

主に日々のまとめ。たまに映画と本のこと。

百田尚紀「永遠の0」

感想

2012年 8月18日に別ブログに書いた感想です。

 

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

 

 

百田尚樹作、「永遠の0」。この作品は、とても衝撃の強い作品だった。

 

私は夜中にひとり、誰のいないリビングで大泣きした。膝の上でこの本が静かに、私へ裏表紙を見せていた。

 

 

弁護士になろうと司法試験を受けるも、四年連続不合格。無気力になった主人公の佐伯健太郎は、勉強もせずにニート化していた。

  そんな健太郎に、ライターをしている姉の慶子から電話がかかる。

「――祖父のことを調べたいのよ」

二人の本当の祖父、宮部久蔵。その存在を知ったのは六年前に祖母の死後、祖母の夫で二人がこれまで祖父だと思っていた人に告げられたからだ。

海軍で零戦のパイロットをしていた宮部。

当時の宮部を知る人物らは、宮部は臆病者で、しかし優秀なパイロットだったと聞かされる。「お国のために」が第一であった戦時中。その中で宮部は「家族のもとに生きて帰りたい」といったという。

しかし宮部は、終戦寸前に特攻で命を落とした。

誰よりもに生きて帰りたかった宮部は、何故死んでしまったのか。

健太郎と慶子は彼を知る者を訪ね、戦争について、宮部について知っていく。

 

私はこの作品を、本好きの友人から借りた。これにマッチしたサウンドトラックと共に(紅というアニメ作品のサウンドトラックです)。

 

そのサウンドトラックをBGMにして読んだ。今ではこの作品を思い出すたびにサウンドトラックのメロディが頭に浮かび、またサウンドトラックを聞くたびにこの作品を思い出す。丸で古典的条件付けだ。

このサウンドトラックがよかった。この作品の中に漂う悲しみを、凝縮した様な味わいある音楽だった。

さて本篇も、友人のススメた通りの良作であった。

健太郎と慶子、そして高山という戦争を知らない世代の人間を通じ、戦争とは何か、生きるとは、家族とは、愛とは、を伝えてくれる。

宮部は、生きたかった。誰よりも、生きたかった。生きるため、一生懸命だった。

家族に、妻と娘に生きて会うために。

 

私は、生きるのが辛い。生きることに、精神的に不自由している。生きたくても生きられなかった宮部とは、正反対だ。

強い精神でもって生きていこうとした宮部とは違い、軟弱な私は今日も生きにくいと思いながらだらだら生きているのだ。下手な生き方をしている。一生懸命ではない。無暗に時間をむさぼる生き方だ。

頭のなかに、「おめえ、なにしに生きでるば」「くたばった方あ、いいんだに」とスワの声が響く。(太宰治、魚服記)

そうかもしれない。鏡を見た。死んだ方が、良いのかもしれない。目の下に隈のある、冴えない女がこっちを見て言った。

永遠の0を読んで、何時もより少し真剣になって自分の生き方を考えてみた。

食う寝ることろに住む所。何不自由でないし。死も強制されていない。順調に生きれば、80、90まで立って生きていられる。

なんて、無駄に生きているんだろう。やっぱり、くたばった方が……。

ああだれど、私は死なないな。

やりたいことがある。まだまだ沢山。小説も書きたいし、写真も撮りたい、本も読みたいし、お腹すいたし、犬撫でたいし、綺麗なものを一杯見たい。

生きる理由は、それだけで十分なんじゃないだろうか。

本書を読んで、私は強い衝撃を受けた。しかし、受けたからと云って私は、劇的には変わってはいない。

生きづらい。と、今も思っている。私の生は、日々は、無駄かもしれない。宮部のように一生懸命に生きていないし。

けれど、読む前よりは少し真剣に、生きてみようと思っている。相変わらずだらだらしているけど、読む前よりは少しだけ真剣だ。

本書は、宮部の真剣さ一生懸命さを、私に分けて呉れたようにおもう。

 

TVアニメ「紅」オリジナルサウンドトラック

TVアニメ「紅」オリジナルサウンドトラック