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gradiolus' blog

主に日々のまとめ。たまに映画と本のこと。

川上弘美「これでよろしくて?」

感想

 

これでよろしくて? (中公文庫)

これでよろしくて? (中公文庫)

 

読中に投稿したtweetと、その晩に考えたことも交えつつ。

例によって着地点はない。 

 

  • 川上弘美さんの「これでよろしくて?」を読中。身体にしっくりくる文体なので、スラスラ進む。心地良い。そんでもって、ああ、そうよね、そうなのよね、なんて思う。女史の、このぼやぼやしたモノを書き表す能力には、本当に感嘆する。
  • 言わなくてもいいモノほど、言わなくていいから蓄積して行ってしまうのね。
  • そしてそれらは言わなくてもいいけど、でも言いたいのよね。ちょっと呟きたい、くらいのものなの。そしてそういったものを吐き出すのに、Twitterはちょうどいい。

 

そう、特に夜中のツイッターなんか特に。これもまた夜中に投稿したもの。

夜中ほど、こうした取り留めないぼやぼやっとしたものが、心に浮上してきやすい。そしてそれらは上記のように、言わなくてもいいようなモノ達なのだ。

 

 

  • 「ひとからの評価が"ひどく"気になる」という時期、つまり思春期はとうの昔に過ぎ去った。けれどもまだ私は「ひとからの評価が気になる」時期に居る。こちらはつまりアイデンティティが未統一なためである。
  • しかしこの「ひとからの評価が気になる」のは何時になったら終わるのかしら。アイデンティティが統一されたら終わるのか。それともそもそも、これは個々の気質や性格の問題なのかしら。

 

これはもう作品と全く関係のない所の話しなのだけれども。同じ時間に投稿したものなので、一緒にしておく。

こういうのに、土井母や妹尾香子や八戸みずほは奇麗に答えを出してくれそうだ。それに立木雛子は全く違った視点をもたらしてくれそうだ。

 

  • 憧れる人が何人か居る。まずあげれば宮澤賢治がそうだし、加えて年上の世の女性達の何人かも、私の憧れである。無論及川氏も。こういう考え方や生き方をしたい、と思わせる人々。大人になるのを忌むんだ頃もあったけれど、この頃は、憧れの方々を見習って私も私らしくスマートに生きたいと思っている。
  • 大人になる楽しみ、を、その人たちの中に見出しているのかもしれない。
  • あと三ヶ月ない。これは単純に年齢上の話であるが。実際の大人になるには、まだまだ青い。

 

この「これでよろしくて?」の特に「これでよろしくて?同好会」の面々には、憧れる。いいな、と思える。

そのためにも「今を生きる」のって大事だな、と読後に思う私。

 

さて、読みながら私は「ああ、この寂しい感じ、いやだなあ」なんて思っていた。

丁度後半の、「ママン」と光のことや義父のことの辺りである。

ひとりぽっちのかなしみ。

唯、一人、独り、私のみ。

尊重されることもなく。自体は収束して行っているようだけれど、何か回復することもなく。ぼやぼや、さみしい。

そのさみしさは、心の中にぽん、と穴ができる感じでもあり、身体のまわりに霧のようにさみしさが纏わり付く感じでもある。

あらがえぬさみしさ、あらがえぬ独り。

そして、ぐっと心臓を掴まれてしまう感じがする。

泣くほどのことでもなく、ぼやぼやとしたさみしさが心に纏わり付くのだ。

 

そんな風に思いながら、私はさみしい気持ちを抱えて読んだ。

そして時々母のことについても考えた。ヨメとしての、母。

こんな風に、菜月さんの様に、思うことが、あったのかしら。

斜向いに居を構える我が一家と祖父母。半同居に近い。私は母の娘で、祖母の孫だからわからないけれど。でも、まあ上手いことやっているように思える。母は時々祖母の文句を娘達に言うけれど、でも祖母の家にいるとき、流石に自宅ほどではないけれど、母はのびのびしているし。

 

反れた。

 

読みながらずっとさみしい気持ちを抱えていたので、菜月さんが光さんに対して「家族、っていうより、夫婦、だよね、わたしたち」と言った下り辺りで涙が流れた。

それは見事に、さみしさの核心をついていた。

ストンと、きれいに。さみしさの真ん中に、心の穴に、ストン、と。

 

最後には「よっぽど何かわかっちゃった」菜月さん。

この菜月さんわかっちゃったことは、ちょっとだけ私を元気にしてくれる。

人は変わっていく、環境だけでなく自身も、色々。

そして、私も女である、いつか家をでていくことがあるかもしれない、そうなったら実家に墓には入らないんだ、と珍しいことを考えた。ちなみに前半の「いつか家をでていく」の辺りが珍しいことである。

 

私の結婚観は

「結婚とは必ずしもするべきものではないし、そしてそれは異性に限らない」

「結婚は義務ではない、しかし良きパートナーと生きて行きたい」

というものである。

そんな私が、いつかは他家に嫁ぐことを考えていた。夫婦っていいな、なんて思った。「これでよろしくて?同好会」のガールズトークに影響されたからかもしれない。

 

憧れている人々のように、スマートに私らしく生きて行くためにすることは、「今を生きる」ことなんだな、と思ったり。

今がなければ明日はないのだ。今が変わらなければ、明日も変わらないのだ。

 

教訓を見出し、元気になった。

そして解説へ進む。

が、私は本を閉じてしまった。今も未だ開いていない(これを書き上げたら読もうと思う)。

 

解説は長嶋有氏。1993年頃に川上女史と電話をした話しを書いていた。ちょうど「これでよろしくて?同好会」のような会話だったという。

これを読んで私は、もう進めなくなってしまった。

無性に「ああ、電話がしたい」と思ったのだ。

それは恋人へ。意味もなく、理由もなく、次のデートの事務的なはなしのためでもなく(もっとも私たちはデートの連絡でさえ、電話で行わないのだけれど)。

お互い生活の時間帯がずれているためと、おそらくはどちらもそういう質ではないために、理由のない電話をしたことは、ない。理由のないメールもしない。

そのべたべたしない距離感が私は好きだ。負担がない。うっとうしくない。いつも通り、でも時々スパイシー、みたいな。

けれど同時に、さみしいとも思うのだ。

 ーー私たち、ほんとうに恋人同士なの?

 

バレンタインも送ったし、きっとホワイトデーにお返しをくださるんだろうな、それはとっても楽しみで。

実は人生初なのです。

だからかも知れない。同好会の面々の言う「おばけ」がでてきているんだな。

(この「おばけ」のニュアンスは、ぜひ読んでもらわないと伝わらないので、本編を読んでほしい。)

それとこの感じは、上原光・菜月夫婦の感じと似てる。菜月さんの「なんだかまだ、光とわたしって、家族じゃないような気がする」に。

 

「そりゃあだって、まだ付き合いたてなんだし」

なんて声が聞こえてくる気がした。それは土井母だろうか、八戸みずほだろうか、妹尾香子だろうか。

まあでも、仰るとおりだな。

 

さっきからドンドン着地点を見失って行っている。

 

読んだ後に「あー、面白かった!」というエンターテイメント的な類いではない、のはご承知だろう。

ストーリーは一切激しくはない、けれど激しく内面を揺さぶられる。

菜月さんの生活はこれからも続いて行くんだな、問題が終結したわけではないのだな、それが伝わってくる。

ちりばめられた「ぼやぼやしたものたち」は、ぼやぼやしているから、全部捕まえることはできないままに終わる。

でもそれでも、元気になれるから不思議。不思議。

それは川上弘美氏の「曖昧なものを書き出すその力」の成せる技なのかしら。

 

上原菜月のこのお話は、電車の中で隣り合う人の話しかもしれないし、わたしの話しかもしれなかったりする。

リアリティ、とカタカナで言ってしまうのはちょっと違う。

 

言葉にして、まとめるのは難しいけれども、強いて言うならば。

さみしくなった時の、ささやかなお守りのような、そんなお話でした。