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gradiolus' blog

主に日々のまとめ。たまに映画と本のこと。

映画スカイ・クロラ感想

感想 映画

 大事な部分がきちんと描かれてない。

 彼ら「キルドレ」は老いることも、死ぬこともない「子ども」たち。彼らの楽しみ、そして望みは「空へ飛ぶこと」。彼らの生きる場所、生きる意味は全て空にある。小説の中で高揚や幸福は、詩のような印象的な文によって紡がれていきます。

 しかし映画で描かれるのは地上での生活が殆んど。空中のシーンも戦闘機同士のダンスは殆んどみれず、「大規模な戦闘があった」ということを伝えるための描写でしかありません。映画内でそれが生きる目的であることは書かれることはありませんでした。

 小説は徹底した彼らキルドレの目線、一人称で書かれ、余計な説明は一切なし。

 しかし映画、これは大人が、大人の目線で描いた物語。大規模な戦闘の時に挿入された爆撃機の映像や、ドライブスルーの映像はまさに三人称視点からの映像です。ならば徹底して三人称から描けばいいものを、すべて説明していまえばいいものをそれを行いません。

 加えてキルドレ達の生きる目的がしっかり描かれていないため、コントラストがはっきりとせず、全体的に灰色の印象。単調で詰らなくなってしまっています。

 ストーリーの改変も、大変多く。それが成功しているのならばよいのですが。二作目のエピソードを挿入したり、クサナギがティーチャに執着するエピソードを入れてみたり(このエピソードのためだけにササクラの性別を変えやがったことを恨みます、原作ではあんなに良いキャラクターなのに!)と。間延びした印象しか得られません。

 ヒガサワのエピソードに関しては、なぜクサナギが「可哀そうなんかじゃない!」と叫んだのか理解しているのか疑問です。クサナギは同じパイロットとして、彼女ヒガサワが最後まで自身の負傷を伝えず飛んでいたこと、地上に落ちずに亡くなったこと、それらを踏まえた上で「可哀そうなんかじゃない」と叫んだのです。映画の描写では、なぜクサナギがそのような発言をしたのか背景がはっきりとしません。ただあの印象的な台詞を使いたかっただけなのでしょう。

 クサナギに関して細かいことを言えば、本当に改悪です。クサナギの歩き方の描写に「コンパスのよう」とありますが、映画ではタラタラとした歩き方しかしません。喋り方ももたついていて、はっきりせず(これは演じられた女優さんのカツゼツの問題か)。語尾に「~わ」が付いていてのには、もう失笑するしかありません。映画制作時には「ナバテア」まで発表されていたはずです(だからこそヒガサワのエピソードがあるわけですが)、読んだ上で、なぜあのような人物描写になるのだろう。

 唯一気に入っているのは、クサナギとカンナミがボーリングのあとふたりで食事をしているシーン。キルドレ=子どもであるクサナギが、大人たちの行う戦争を代弁している。その背景は、大人たちが描かれたタペストリ。一番印象に残っているシーンです。

 もし徹底的に三人称視点で描かれていれば、小説とはまた違った「スカイクロラ」としてとても面白い映画になったのかもしれなかったのに。

 

以下、関連する私のツイート。

  • スカイ・クロラは何度だって読める。なぜなら付箋を一切貼ってないから。どこで、私が感動したのか、面白いと思ったか、引用の意味に気づいたか、がわからない。どのページも新しいままだ。 そしてこれからも付箋を貼らないだろう、この本には、不思議と貼れない。
  • 世の中が「風立ちぬ」観てるときに、「スカイクロラ」観てた
  • 映画スカイクロラにいろいろ言いたいんだけど、もうみんないろいろ言った後だと思う。なんたって6年前だし。
  • むかし一度観て、よくわからなかった。そのあとに小説を読んで、それからしばらく経ったけど、昨日戦闘機のシーンを観たいと思って借りた。こんなに……だとは。
  • 私が見たいと思った戦闘機のシーンはほとんどなし。期待はずれ。単調でだらだらしたシーンと、意味のない暗転。エピソード混ぜすぎ、だが意味がなさすぎ。笹倉の性別を変えた意味もなし、むしろ魅力減。 中途半端に原作をなぞりつつ、しかし結末は変えるという。
  • 頭抱えながら見てた、明日また一人でみて頭抱えると思う。二回目見るんだって感じだよね、私も思う。
  • 爆撃機が攻撃されるシーンは本当にイラン、なぜそのシーンを長くとったのか。それよりメインの戦闘機のシーンをもっと入れて欲しかった。冒頭あんなに興奮したのに。
  • 冒頭といえば、ティーチャにであったパイロットのあの怯えっぷりはない。彼らは怯えない、むしろ興奮するだろう。こどもは、キルドレは。 あれは大人のパイロットじゃないかと思う。
  • 加えて、最後にカンナミがティーチャに向かっていったシーン。まるでクサナギのためのように出撃していったが、彼は誰かのために飛ぶだろうか? 「僕の戦いだ」言ったが、ほんとうに?あれじゃあクサナギのために飛んだように見える。
  • 最後に新しいパイロットが出てきた。カンナミと同じシーンを使い、カンナミの生まれ変わりであるとの暗示。そしてクサナギの「君を待っていた」で、明らかに彼がカンナミの生まれ変わりだとわかる。が、なぜ声優を変えた?ユダガワは変えなかったならば、カンナミも変えるべきではない。
  • それでは、別人だ、といってるようなもんだ。
  • ああ、あとヒガサワ。「可哀想じゃない!」をクサナギに言わせたかったのはわかるんだけど、それは「パイロットは立派だ」という前提がないと話が通じない。何が可哀想じゃないと言いたいのか、なぜクサナギが叫んだのか。
  • ああそうだ、スピナーじゃなくてカウリングを外したままのカンナミの散香でクサナギは出撃したんだ。しかもカンナミは手を差し出すか?しないだろ……。
  • クサナギが「あの子を見てるとき自分が嫌になる」に続くクサナギのセリフ。あれはミズキがクサナギの娘である、という確定を与えるものだ。そのあとの手をつなぐシーンをわざわざスローにしてみたり、あれから頻繁にミズキが出てきたり。わざわざ強調して、何を表現したいのかわからない。
  • 映画スカイクロラにBGMは必要なかった、歌もいらない。 あのオルゴールは繰り返しの暗示か? でも、必要はない。
  • 映画『スカイ・クロラ』分析と考察 : 不能な映画分析 http://t.co/ZDE0wPWbYv 映画スカイクロラについてなら、この考察は最高だと思う、素晴らしかった
  • ティーチャ→クリタ→カンナミの線への気づきの凄さ。 でもこれを原作に適用すると頭おかしくなりそう。 カンナミ=クサナギだから……
  • 「kill my father」だがカンナミは成長しない。過去のティーチャだ。だから負けた。とあったが。
  • クサナギに「生きろ」といった時点でカンナミは成長している。クリタでもティーチャでもない。過去のティーチャだから負けた、というのは一理あるが、全面同意はできない。
  • 映画だけ観た人には、映画は結構良かったみたい、とくに監督のファンには。
  • だからカンナミの元はクサナギなのか?
  • スカイクロラを読むたびに思うんだけど、引用との一致率の高さがすごい。それでいてストーリーは破綻してない。 読むたびに感動してる。 もしくは適切な引用をみつけてくるのが上手いのかも。どっちにしろすごい
  • カンナミは、クサナギのクローンなのなタルパなのか?