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gradiolus' blog

主に日々のまとめ。たまに映画と本のこと。

内面化されたホモフォビアについての再考

 先日、tsudobaさん(内面化されたホモフォビア | tsudoba)に、私が昨年書いた「内面化せれたホモフォビア - gradiolus' blog」が再掲された。
 一年も経てば、ひとの考えも変わる。
 この「内面かされたホモフォビア」について、改めて書きたいと思う。

 この短い記事の内容を更に短く要約すれば、「内面化された同性愛嫌悪(ホモフォビア)は自己嫌悪の形を取る」「人間は観察学習によって、あらゆるものを学習する」「なので、同性愛嫌悪を悪いとわかっていても、学習してしまう」という三段階で構成されている。そして結論として、「よって自己嫌悪から解放されることは難しい」ということを記している。
 このことについては、今現在も考えは殆んど変わらない。

 第一段階の「内面化された同性愛嫌悪は自己嫌悪の形を取る」ということは、上野千鶴子の「女ぎらい~ニッポンのミソジニー」(紀伊国屋書店)を読んで気づいた。(そして記憶を喚起するために、既読のこの本を今日書店で購入してきた。)


 第8章「近代のミソジニー」の最後の節に「自己嫌悪としてのミソジニー」がある。冒頭を引用する。

男のミソジニーは、他者に対する差別であり、侮蔑である。男は女になる心配はないから、安心して女を他者化し、これを差別することができる。
 だが女にとっては? 女にとってのミソジニーは自分自身に対する嫌悪となる。自己県をしながら生きつづけるのは、だれにとってもつらい。
 社会的弱者(social minority)は、だれえあれ、同じような「カテゴリーの暴力」を受けている。なぜならそのようなカテゴリーをつくったのは、支配的な集団(social majority / dominant group)だからだ。(後略)

上野千鶴子,2010)


 説明するまでもなく、これを同性愛嫌悪、同性愛差別に置き換えても話が通じる。
 異性愛者にとっての同性愛嫌悪は他者に対する差別である。自分は同性愛者ではないからこれを差別することができる。
 だが、当の同性愛者にとっては、自分自身を他者化して差別することができないから、自己嫌悪の形をとって現れるのだ。

 同性を好きになった時に、
「これは誰にも相談できない」
「はやくこの気持ちを捨ててしまわなければ」
「自分はフツウじゃない」
 そう思った。
 この「自己嫌悪」は、今思えば「内面化された同性愛嫌悪」に他ならない。

 同性を好きになってしまった自分はオカシイ。

 日々丹念にすりこまれされ続けてきた同性愛嫌悪と差別のたまものだ。

 初めて自覚的に同性を好きになったのは高校生の時で、もう5年以上前になるかと思う。
 そして「内面化されたホモフォビア」の記事を書いたのは去年で、去年と言えば渋谷区が同性パートナーシップの条例を施行したとしたわけだが。
 どうだろう、私たちの周りから同性愛差別は消えただろうか?
 むしろ、より巧妙になったような気がしないではないのだが、いかがだろうか?

 この内面化された同性愛嫌悪から、解放されるにはどうしたら良いのだろうか。
 これが本当に難しい。
 なぜなら前述のように人間には観察学習という素晴らしい能力が備わっており、これは善し悪しに関わらず観察(モニタリング)したものを学習することができる能力だからだ。
 だから私たちは生活することができるし、それが悪いことだと知りながら、人を殴ることも、人を殺す方法も、知っている。

 個人的解決策しか、いまは呈示することができない。内面化された同性愛嫌悪を無くすには、社会からそれをなくさなければならないから。
 なので、この先は読まなくても構わない。もし付き合ってくれるのなら、読んでほしい。

①社会の仕組み・形を知る。
 どの方面からのアプローチでも構わないと思う。引用にもあるが、社会的弱者は同じような「カテゴリーの暴力」を受けている。つまり差別の形は似ているからだ。
 私は、フェミニズムの方面から社会の形を学ぼうとしている。これは私が幼少のころから「なぜキリスト教の神は男なのか」という憤慨に端を発している。
 それと同じように、誰でも興味、関心のある分野があるだろう。
 帝国主義も、家父長制制度も、女性差別も、同性愛差別も、すべては地続きだ。

②自分を嫌いではなくなる。
 これは物凄く難しい。
 自分にあるあらゆる面を、肯定していくという作業は、自分が自分に抱いている嫌な部分と向き合う作業だ。
 嫌いな部分さえも、それでいいのだと肯定する。
 一朝一夕には達成できない。大きな葛藤との闘いである。
 私はこれに対して、マインドフルネス瞑想をお勧めしたい。
 マインドフルネスはあらゆる病気に対する治療に用いられている。自己嫌悪は病気ではないが、それによって生きづらさを感じているのならば、少しでも解消したほうがいい。
 根本的な解決にはならないが、人生をより良くする方法としても、試してみて損はない。


 1年前に書いた「内面化されたホモフォビア」では「内面化された同性愛嫌悪が完全に消えるのは、いつになるのだろう」と記して終わっている。
 私が生きている間に、無くなってほしいと切に願う。
 でもやはり、そう簡単には無くならないだろう、と、いまも見解は変わらない。
 だが「何か」をすることはできる。
 諦めないでいたいと思う。


引用文献
 上野千鶴子(2010)「女ぎらい~ニッポンのミソジニー」 紀伊国屋書店

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 



参考文献
 以下の文献は、この記事の執筆の参考にしたのに加え、読者の方がより生きやすくなるのに活用してほしいと思い紹介文と共に記す。

 パトリツィア・コラード(2015)「瞑想を始める人の小さな本」 プレジデンス社
(マインドフルネス瞑想に関する本で、はじめは5分から始めることができる。長くても10分なので気軽にできる。あらゆる人にお勧めしたい一冊)

瞑想を始める人の小さな本―クヨクヨとイライラが消えていく「毎日10分」の習慣



 ベル・フックス(2003)「フェミニズムはみんなのもの」 新水社
 (フェミニズムに関する最も分かりやすくて基礎的な本である。もしフェミニズムに興味を持ったのなら、私は真っ先にお勧めしたい)

フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学 (ウイメンズブックス (2-1))


 竹村和子(2000)「フェミニズム岩波書店
 (難しい用語が多く難解な本だが、読んで損はない。この本も例外なくホモフォビアについて触れている)

フェミニズム (思考のフロンティア)



 石丸径一郎(2003)「レズビアン、ゲイ、バイセクシャルについて」 心身医・2004年8月・第44巻第8号
 (LGBに関する短い論文。本文では触れることができなかったが、「同性愛アイデンティティの発達過程」が記されている。内面化された同性愛嫌悪から自己安定への以降段階について触れられており、精神医学的にどのように対処するのが良いのか記されている。同氏の他の論文も非常に興味深いので、併せて読まれたし)

 つい熱が入って長くなってしまった。ここまで読んでくれたあなたに、感謝を。